携帯サイトのレイアウトテクニック

携帯サイトでは、複雑なテーブルレイアウトやCSSを利用することが(原則)できません。また、通信環境の違いから、ページが重いと読み込むのに時間がかかることが多いです。 そのため、横線(ライン)や絵文字を効果的に使うことでレイアウトやデザインを工夫することがポイントになります 。 外国為替証拠金取引、“FIVE ROCK SHOW”計画がスタート。「5ヶ月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」と発表したが、そのシングルはメディアへの露出が大幅に減ったのも影響したのか、どれもスマッシュヒットには至らなかった。この間1981年発売のシングル『Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)』は現在でもサザンの全シングル中ワーストの売り上げを記録している[10]。 アルバムは毎回チャート上位を獲得するものの、シングルは売り上げが低迷する状態が続いた。1982年、1月21日に発売したシングル『チャコの海岸物語』が大ヒットした。桑田は当時人気絶頂であったアイドル・田原俊彦の声色を意識して歌うなど、起死回生を賭けた開き直りの歌謡曲だった[11]。この直後、桑田と原は結婚を発表し、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』などでも祝福され、結婚式にはファンを呼ぶなど公私共に祝事が続いた。 外国為替にはサザンとしては初の2枚組オリジナルアルバム『KAMAKURA』を発売した。発売延期を重ねつつも長期間のレコーディングセッションの中で生まれたこの濃密なアルバムは、サザン史上最高のアルバムとして評されている[1]。同製作時期に原が産休に入り、サザンとしての活動もひとつの頂点に達してしまったため、一旦活動を休止。桑田はKUWATA BANDとしての活動の後個人ソロを開始し、他のメンバーもそれぞれソロ活動に入った。 活動再開?小林武史とのコラボ 1988年6月25日、デビュー10周年の記念となる日にシングル『みんなのうた』を発売し、サザンとしての活動を本格的に再開した。加えてこのシングルから小林武史がアレンジ、プロデュース業を共に行うようになっている。前年に桑田はソロ活動で小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っており[12]、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。 日経225から楽曲製作に関して「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマー・マニピュレーター+レコーディングエンジニア」という図式が見られるようになり[13]、桑田以外のメンバーが干渉する割合が減ったと言われている。小林と桑田はさらに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた[14]。 1991年には関口が病気療養で休養に入るが、1992年、7月21日に『シュラバ★ラ★バンバ/君だけに夢をもう一度』『涙のキッス』を2枚同時発売し、サザン初、そしてオリコンとしても初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。『涙のキッス』はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、1ヶ月近くオリコン首位をキープするなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破した[15]。 FXには『エロティカ・セブン』がフジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」の主題歌に起用され再びミリオンを超える大ヒットを記録[16]。そんな中、1994年には桑田がソロ活動を再開、サザンの活動は約1年間休止となった。 セルフアレンジ時代へ 小林武史がアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、シングル『クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)』を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。このはっきりした理由はファンに明らかにされてはいないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っており[17]、蜜月の終わりを示唆している。この「危ないヤツ」という表現は、人間性を否定しているものではなく、アレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて、小林に頼りすぎてしまうという意味で発言したものである[17]。その後この小林との縁で桑田佳祐&Mr.Children名義でのチャリティー活動や、小林とMr.Childrenの桜井和寿らが中心となって活動するap bank fesへの出演など、作品面以外での交友が続いている。 1995年、関口が長期の休養から復帰し、5月22日にシングル『マンピーのG★SPOT』で活動を再開。これ以降プロデュース名義は主にサザンオールスターズと表記されるようになった。直後に発売されたシングル『あなただけを ??Summer Heartbreak??』はフジテレビの「月9」枠ドラマ「いつかまた逢える」の主題歌として起用され、ミリオンを超えるセールスを記録した。その後も1996年に『愛の言霊 ??Spiritual Message』がミリオン突破するなどし、アルバム『Young Love』は過去最高のアルバム売り上げを記録した。 しかし、1997年あたりからサザンのイメージである「夏」「爽やか」などの売れ線系路線の曲とは程遠い、ハードロックなどを意識した曲を多くリリースするようになり、ライトファン離れが急激に加速していった。1998年にはベストアルバムリリースブームの中『海のYeah!!』を発売し、大ヒットを記録した。しかしほぼ同時に発売したオリジナルアルバム『さくら』は暗い作風や、上記のハードロックを意識した作品であったため、過去のアルバム3作連続で記録したミリオンを僅かに下回る結果となった。1999年には初のドームツアーを行い人気の健在振りを示したが、シングル『イエローマン ??星の王子様??』は、累計で10万枚を(オリジナル盤)下回る結果となった。 『TSUNAMI』記録的ヒット、大森の独立 1999年9月26日、27日、ファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」を行う。桑田曰く「ファンの空気に触れて刺激を受けた」とのことで、その当時レコーディングしていた曲(桑田ソロ『可愛いミーナ』の元曲など)も方向性がガラッと変わり明るくなったという。翌2000年、1月26日にシングル『TSUNAMI』を発売。この曲は前述のイベントから生まれた曲であり、「売れるものを作った」などと桑田自身も語っている。このヒット以降、サザンはある程度保守的な方向性へとシフトチェンジしていく。 サザンのシングルでは久々となった切ないラブバラードのこの曲は、当時大人気だったTBS系バラエティ番組『ウンナンのホントコ!』のコーナー『未来日記III』のテーマソングとなり、日本音楽史上記録的な大ヒットとなる(再発盤のシングルも含め293万枚を売り上げ、オリコン歴代シングル売り上げランキングで3位に、シングルCDとしては現在1位にランクインされている)。かねて何度も逃したレコード大賞もこの年に獲得した。『TSUNAMI』を機にサザンは長らく続いたセールス低迷から脱け出し、続く『HOTEL PACIFIC』もヒットを記録、夏には桑田の地元である神奈川県茅ヶ崎市の地元住民の署名運動の結果、2日間の野外ライブ『茅ヶ崎ライブ ??あなただけの茅ヶ崎?』を行った。 一方、そのライブが終了した直後に大森が休養を発表し、翌2001年には正式に独立を発表しメンバーから脱退した。その前後から桑田らは再びソロ活動を開始。桑田はシングル『波乗りジョニー』『白い恋人達』がそれぞれミリオンを超える大ヒットを飛ばした。 25周年での活動再開、『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム発表 2003年6月25日にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD『勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス』をリリース。同作は1週間で約22万枚を売り上げ、発売から25年のブランクを置いてオリコンウィークリーチャートで1位を記録。また同日にFMラジオ局のいくつかが24時間サザン特集を実施するなど、幅広い人気を見せつけている。 7月23日、シングル『涙の海で抱かれたい ??SEA OF LOVE??』をリリースし活動再開。直後には大規模な野外・スタジアムツアーを行い、復活をアピールした。2005年には、『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム『キラーストリート』を発売、2006年にはTHE 夢人島Fes.を開催し、サザンオールスターズとしてもプロモーションのため精力的に活動したが、2007年4月には桑田佳祐のソロ活動再開に伴い再び休止することとなった。 30周年、そしてバンド活動無期限休止へ この節には現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず、検証可能な事実を確認の上投稿してください。 2008年、30周年に伴うシングル発売やライブなどの活動・プロモーションの発表と同時に、2009年以降メンバー個々の自由な発想による音楽活動を展開するべく、サザンオールスターズとしての活動を無期限休止にすることも発表した(2006年のTHE 夢人島 Fes.を最後に、実質的にサザンとしての活動は行われていなかったものの、この間を活動休止期間と定めていない)。期限を設けない活動休止は、原の出産・KUWATA BANDの活動などがあった1985年〜1986年(活動休止は1988年夏まで)以来2回目のことである。 この活動休止については、発表の当日にNHKテレビの『おはよう日本』がこのニュースを報じた他、民放各局で大々的に取り上げるなど、日本のミュージシャン・ユニットの話題としては異例の報道や特集がなされ、反響を呼んでいる状況である。 桑田自身は『活動休止の理由は、より新しいものをつくるための充電期間』としている。また、『今のままでも活動を続けようと思えばできるが、それではサザンという看板にぶらさがっているだけで、甘えているだけになってしまう』とも語った。また、『(サザンの)解散は絶対にない』と断言している。