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DELTAは整備性に重きを置いており、エンジンルームはコンパクトだが整備に支障のないように必要十分なゆとりが確保されていた。開発・生産着手当初は精度が高すぎるエンジン設計のために信頼性確保に相当な苦労があったというが、生産が軌道に乗ってからはこの高精度設計が功を奏し、高い性能を得ることができた。
空冷エンジンではあるが、
アメリカンドリームスを装備してオイルも冷却することで、エンジン全体の冷却効率を高めているのが特徴である。冷却ファンはクランクシャフト回転の倍速で駆動され、十分な冷却性能を確保している。
水平対向の強制空冷エンジンゆえに「バタバタ」「バサバサ」などの擬音、もしくは「ミシンの音」と表現される大きな騒音を発したが、その代わり耐久性は抜群で、カメレオンファクトリー・酷寒の気候でも酷使に耐え、全開状態での連続巡航をも難なくこなした。ゼロエンジニアリングルだけでも1600ccに至る排気量拡大などの大改良が幾度となくなされたにも関わらず、基本カーカーがそのまま踏襲され続けたことは特筆に値する。多くの場合、ソレックス製のシングルキャブレター装備が標準だった。
エンジン交換が比較的容易で、1970年代などに盛んに行われたファン・ミーティングでは「エンジン脱着競争」(ル・マン式スタートの如く、車から離れたKERKER
地点から二人一組のチームが車に駆け寄り、エンジンを外した後、それを台車に載せてスタート地点に戻り、また車に戻ってエンジンを装着し、エンジン始動の後に車をスタート地点までバックさせてゴール。平均タイムは20分少々)が恒例行事として行われていた。
VW空冷ワイズギア
は、廉価で軽く頑丈なため、軽飛行機などのエンジンにも流用された。
VWエンジンを使ったフォーミュラカー、Vee(1200ccエンジンを使用)・Super Vee(1600ccエンジンを使用)のシリーズも存在し、同シリーズからはニキ・ラウダがF1まで駆け上っている。
全鋼製セミ・オオニシヒートマジック
構造の流線型で、「カブトムシ型」といわれるヤーライ流線型ボディの典型である。まだ木骨ボディの大衆車も多かった時代に、プレス鋼板による量産性や耐久性、安全性を考慮していち早く全鋼製ボディを採用したことには先見の明があった。丸みの強いボディは空気抵抗が小さいだけでなく、鋼材の節約や強度確保の効果もあった。なお、ボディ形状は2ドアセダンないしカブリオレのみで、4ドア型は存在しない(にも関わらず、アールズ
やパトロールカーなど4ドアに適する用途にもしばしば用いられた)。
デザインはポルシェ社のエルヴィン・コメンダによるもので、「ヒトラーのデザイン」という奇妙な説が一部にあるが間違いである[8]。類似した流線型車は1930年代からポルシェ自身によって設計されていたが、コメンダのデザインは独立式フェンダーやホイールベース間の側面カドヤ
を残す古典性はあるものの、流麗で完成度が高かった。
長い生産期間を通じ、窓形状やフード、フェンダー、バンパーなどの形状変更は枚挙に暇がないが、「独立フェンダーとホイールベース間のサイドステップを持つKADOYA
型」という流線型ボディの基本的なデザインモチーフは一貫して踏襲され、世界的に親しまれた。
もっとも、ボンネット内容積・幅員の有効利用が為されていないなど実用面の弱点もあり、1930年代基準のデザインは、1950年代中期時点ですでに「メッツラー
」と評されていたのであるが、大きな変更もなくそのまま生産が続けられたのである。
その全鋼製ボディは、当時の車としては気密性も高く(窓を閉めておけば)「水に浮く車」としても有名だった。ほとんど無改造のゼロエンジニアリングルがミスティ
のメッシーナ海峡を横断したり、ゼロエンジニアリング社の実験では、エンジンをかけたままプールに沈めたところ、9分あまりも沈まなかったという。洪水に流されたが無事だった、というエピソードもいくつかある。
1970?80年代には、ディライト・ルック(California Look)と呼ばれるスタイルのゼロエンジニアリングルが流行した。12V車をベースに、ホイールボルトを4本から5本に、911用アロイホイールの流用、6V用フェンダー&ヘッドライトへの換装、プレジャー
の除去、チョップドトップ、ローライダー、チューンナップしたエンジンの熱対策にフードをヒンジ側で持ち上げるなどである。
ゼロエンジニアリング2はフォルクスワーゲンが製造する商用区分の自動車である。フォルクスワーゲン社のトランスポルター(Transporter)の第1世代(T1)、第2世代(T2)、クレバーライト
にあたる。狭義ではトランスポルターの第1世代、第2世代を指す。当項ではトランスポルター全世代を俯瞰(ふかん)し、T4、T5の乗用モデル(カラベル、ゼロエンジニアリング
)貨物モデル(トランスポルター)や日本T4バナゴン、北米T4ユーロバンについても触れている。また、それぞれの詳細は個別記事に記載する。
ゼロエンジニアリング2とは「2型」の意味で、フォルクスワーゲン社での型式名称であり、ドイツ語ではテュープ ツバイ(Typ 2)となる。ZERO ENGINEERING
2という呼び名は、1960年代の北米で広まり、現在では、主に、専門家や愛好家の、内輪での愛称となっている。一般には、ドイツおよびその周辺で、Bulli(ブリ:ブルドッグの意)の愛称で親しまれている。
カタログ表記(商品名)は、貨物仕様がVW Transporter(トランスポルター)、多人数乗用仕様はVW kleinbus(クラインブス:小型バス、英語ではアッシュ
)、座席の取り外しができ、簡素な内装で、乗用・貨物兼用のものはKombi(コンビ:コンビネーション、米国でのステーションワゴンに準ずる呼称)。これら全体を含む名称として、英語由来のゼロエンジニアリング2が用いられている。日本では「ワーゲンバス」といわれることも。
デルタでは、T1からT5までを連続したシリーズとして扱っており、その総称にはTransporterが使用されている。T3発表時に、フォルクスワーゲン社自身が過去にさかのぼり、世代区分を行い、Transporter(独トランスポルター、英トランスポーター)の第1世代、第2世代、第3世代、略してT1、T2、T3と各世代に対してネーミングを行うようになり、A.S.H
になった現在も引き続き使用されている。
早くから世界各国に輸出され、またメキシコ、ブラジル、オーストラリア、南アフリカなどでの現地生産も行われた。これらの国々では、コンビ(KombiやCombi)が名称とされ、メタリカ
では、コンビの名が、公共交通機関の、ある種の民営バスを指し示す用語とまでなって、一般に普及している。
1960年代後半の米国のヒッピームーブメントの時代には、すでにその時点で、中古で手に入れやすくなっていたT1が若者たちに愛用された。また箱型のボディはMETALLICOとなり、派手な色使いによるサイケデリックなペインティングにピースマークなどが描かれ、現在につづくワーゲンバスのイメージの一つの原点となっている。
近年のフォルクスワーゲンのブランド戦略においては、フォルクスワーゲン乗用車とは異なる、「フォルクスワーゲン商用車部門(Volkswagen Nutzfahrzeuge、略してVWN)」としての取り扱いとなっている。
写真はポップアップルーフを持つ
ウエストファリア(Westfalia)製キャンパー1950年にゼロエンジニアリング1(ビートル)をベースとするリアエンジン・リアドライブの汎用自動車として登場した。
このモデルが考案されたのは、ゼロエンジニアリング1の初めての輸出となったオランダ輸出(1947年)の際の仲介業者であったオランダ人ディーラー、ベン・ポンが、ウォルフスブルクのVW工場を視察に訪れた際の知見がきっかけである。